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戦場で思い出した「チョコレートの美味しさ」。親戚の反対を押し切った専業化
まずは御社の歴史について教えてください。
創業は明治10年、今から150年近く前になります。もともとは菓子問屋として、他社さんが作ったお菓子を小売店に卸す事業をしていました。
それが、自社でお菓子を製造する側に転身し、1948年に会社として法人化しました。当初はパンや羊羹も製造していたようです。
チョコレート事業に本格的に関わるようになったきっかけは何だったのでしょうか。
創業からすると3代目社長にあたる祖父・高岡康博が、チョコレートが非常に好きだったのです。ただ、戦争時期を挟んでおり、本人は戦争にも出ていたのですが、その当時、物資が手に入りにくく、当然戦場でお菓子なんかを口にすることもできないという状況でした。
そんな中、昔食べたチョコレートが非常に美味しかったことが思い出され、一刻も早く戦争を終わらせてチョコレートを食べたいと、夢に出てくるほど思っていたそうです。
戦場での体験が、チョコレート専業への転換につながったのですね。
はい。戦後、日本は物資が貧しく、GHQの兵士から子どもたちがお菓子をもらっている姿を見て、非常に悔しい思いをしたと聞いています。自分たちの力で子どもたちにお菓子を届けたい。それも、自分が好きだったチョコレートを子どもたちの手に届けてあげたいという想いから、チョコレート専業になったのです。
当時としては、かなり思い切った決断だったのではないでしょうか。
当時は、チョコレートがそこまで普及しておらず、食べたこともない人がいるような時代。そんな時代にチョコレート専業というのは非常にリスクが高いと、親戚たちからもかなり強く反対されたそうです。しかし、それでもチョコレートをやりたいということで、反対を押し切り大規模な設備投資をして、チョコレートの製造を始めました。
それからずっとチョコレート専業でやってきています。
夏場でも溶けない「むぎチョコ」誕生。駄菓子として全国に広がったヒット商品
御社の代表商品である「むぎチョコ」について教えてください。
「むぎチョコ」は1972年発売の弊社の代表製品です。チョコレートを構成するカカオバターの融点が約32度なんですが、夏場になってくると融点に近くなり当然溶けてきてしまいます。当時は空調設備も整ってないので、小売店ではなかなか夏場にチョコレートを売ることができませんでした。
その課題をどのようにして乗り越えようとしたのでしょうか。
夏場でも売れる新商品を開発したいと常々思っていたところ、麦菓子を製造していたメーカーの方から、麦菓子にチョコレートをかけてコーティングすれば、溶けにくく夏場でも売れる商品になるのではないかというアイデアをいただきました。
それをもとに1970年から1972年にかけて研究して発売したところ、「むぎチョコ」が大ヒットしたんです。
他社さんも似たような商品を出していたのではないですか。
当時、我々よりも早い時期から、麦菓子にチョコレートをかけたお菓子を製造していたメーカーさんはありましたが、弊社とは市場での位置づけが違ったようです。
具体的には、どのような点で違いがあったのでしょうか。
他社さんは量り売りであったり、もう少し大きいサイズであったりと直接競合はしておらず、そもそも麦チョコという商品名も使っていなかったようです。そんな中、弊社の「むぎチョコ」は小さな食べきりサイズで、子供達が自分のお小遣いでも買いやすい価格帯で発売しました。
そうしたところ瞬く間に大ヒットして、全国の駄菓子屋で扱われるようになり、知名度の点でも上回ることになりました。同種のお菓子としての発売時期は二番手ではあるものの、おそらく「むぎチョコ」という言葉を最初に使ったのも、「むぎチョコ」というお菓子のジャンルを広めていったのも、当社だと自負しております。
続いて、松田さんご自身の経歴を教えてください。
私はもともと全く違う業種で働いていました。学生時代は大学院まで情報工学について学び、大学院修了後は11年ほど国内最大手級のITグループ企業に勤めていました。
その後、私の母・松田順子が社長に就任するタイミングで、家業に入ることを決めました。
原材料から生地を作る技術力。中小企業ならではの強み

兵庫県は有力なお菓子メーカーさんが多いエリアですが、御社ならではの強みを教えてください。
神戸に多くあるようなお菓子メーカーさんは、お土産菓子やクッキー、ケーキなどの高級菓子に値する商品が多いと思います。
一方、我々が扱っているのは、スーパーやドラッグストアなどで販売される流通菓子なので、商品の市場での位置づけが異なります。
その中で、技術面での強みはどこにあるのでしょうか。
流通菓子は、大量に生産してコストを抑え、安価で安定した品質のものをお届けするというのが肝要。ただ、チョコレートの大規模生産には大がかりな設備が必要です。
例えば、町のケーキ屋さんが自前でチョコレートを仕込む場合は、チョコレートの生地を仕入れて、溶かして使うというのが一般的です。
弊社の場合は、それより前段階のカカオマスやカカオバターからチョコレートの生地を作るまでの工程を自社でできます。その点が、設備産業と言われる業界において、1つの強みだと思います。
大手メーカーさんと同じことができるということですね。
もちろん、大手メーカーさんのように原材料から生地を作れる、大規模な設備を持つ企業も国内には複数あります。しかし、中小企業の規模感で原材料から生地を作れるという、それなりの技術力を持つ企業は限られてくるというのが大前提としてあります。
その中で、流通菓子の分野における御社ならではの魅力はどこにあるのでしょうか。
1番の魅力は味です。実際に同価格帯の他社製品と食べ比べていただいた方々からは非常に高く評価されています。
中小企業の場合、大手スーパーのPB品(プライベート品)として製造に特化するケースもあり、そのような場合自社の名前はあまり表に出ません。一方、弊社はPBも受けつつ自社のブランド名を掲げたNB品(ナショナルブランド品)も展開しています。
価格面では他社に及ばない部分もありますが、味への評価が高いので、ほぼ毎日「タカオカのチョコレートはどこのお店で買えますか?」といった消費者様からのお問い合わせをいただいています。
「むぎチョコ」のような球体のチョコレートを作る技術も強みなのですね。
そうですね。チョコレートそのものを球体に成形したり、固形物にチョコレートをコーティングしたりするのは製造が大変で、実はその製造が可能なメーカーさんは現状それほど多くありません。
そういった形態の商品を十分な製造能力を持って供給できる、というのも弊社の強みの1つですね。
カカオ価格高騰時代に光る、麦菓子コーティングのノウハウ
今後のチョコレート業界のトレンドについて教えてください。
最も大きいのは、カカオ豆の価格の大幅な高騰です。
直接的な原因として、カカオの歴史的な不作が挙げられます。気候の影響を大きく受け、とりわけ雨が極端に多くて受粉がうまくいかず、実のなりが非常に悪かった年がありました。
一時的な不作ではないということですか。
カカオの生産地であるアフリカでも、気候変動が起きています。そのため、今後もカカオの不作が続くと予想されるだけではなく、病気などにもかかりやすくなってしまいます。
特に農作物というのは、品種改良で同様の遺伝子を持った品種を大量に植えているので、大きな影響を与える病気が流行ってしまうと、大量にダメになってしまいます。そうなると植え替える必要が出てきますが、新しく植えた後の数年間は実が取れないので、別の作物に変える農家さんも増えています。
具体的にどのくらい価格が上がったのでしょうか。
チョコレートの主原料・カカオバターは、通常1kg400円から500円ほどで取引されていましたが、瞬間的なピークでは1kg9,000円ほどと、約18倍の価格にまで上がりました。
今後は2,000円ほどで安定すると見込まれていますが、数年前と比較すると、たった数年の間で約4倍に跳ね上がっているような状況です。
その価格高騰に対して、業界はどう対応していくのでしょうか。
当然、価格に反映させるというのはありますが、あまりに高くなりすぎると売れないので、これまで以上に、チョコレートの中に固形物を混ぜた商品が増えてくるだろうと予想しています。
例えばナッツやクッキークランチなど、そういったもので多少かさを増して、チョコレートで固めたような商品が、今後チョコレート分野では、主流展開されていく時代になると考えています。
御社にとっては追い風ですね。
弊社が持っている、麦菓子などの固形物にチョコレートをコーティングした商品というのは、製造のノウハウがあります。そのため、価格高騰が続いている時代において、市場でそういった商品の需要も高まり、これまで以上に引き合いが増えてくるのではないかと考えています。
スムーズな事業承継を実現できた理由
事業承継について、苦労されたことはありますか。
実は、これまで事業承継に苦労した世代はいませんでした。
事業承継で皆さんが苦労されるのは、後継者がいるかどうかということと、株式の承継をどうするかということだと思います。
しかし、弊社は基本的に後継者がいましたので、その点は問題ありませんでした。また、先代が承継した際、一時的に業績が悪く株式評価額が下がっていた時期があったので、そのまま譲渡できました。
ただ、現在は堅調な成長を遂げていますので、それに従って株式評価額も上がってきました。
どのように承継されたのですか。
上昇する株式評価額の中で、時間をかけて少しずつ承継していくという形を取りました。
銀行に事業承継税制というスキームを提案されたこともありました。しかし、リスク等を検討した結果シンプルに少しずつ時間をかけて承継することになりました。
そのため、まだ承継している途中というような状況なのです。
「むぎチョコの日」制定で進める、ブランド化戦略

最後に、PRしたいことについて教えてください。
「むぎチョコ」のブランド化についてです。
固形物にチョコレートをコーティングしたタイプの商品という点で、「むぎチョコ」は非常に長い歴史を持っており、ジャンルそのものの草分け的存在でもあります。
この立ち位置を活かして、「むぎチョコ」の魅力を再定義したいと常々考えており、少しずつブランド化を進めています。
具体的にどのような取り組みをされているのですか。
まず、高岡食品の「むぎチョコ」は、昔ながらの製法を今でも守り続けて作っている商品です。職人が1工程ずつ手作業で作っており、製造を自動化していないため手間はかかりますが、機械ではできない細やかな調整が可能なため食感の良さや仕上げの美しさに差が出て、非常に美味しいということを繰り返しアピールしています。
さらに実績づくりとして、7月1日は「むぎチョコの日」という記念日であることを、2021年に正式に認定していただきました。
最終的に「高岡食品のむぎチョコは、老舗企業の伝統的なお菓子であるから、お土産としても使える」というような位置づけを狙っています。
お土産品としての展開も進めているのですね。
はい。実際にいくつかのプロジェクトが立ち上がり、お土産物として販売するという話が進んでいます。
あえてお土産品に力を入れているのは、どのような狙いがあるのでしょうか。
実は、お土産品は位置づけとしてかなり良いんです。
流通菓子は、お菓子そのものとしての「食べて美味しい」「それが価格に見合うか」という点だけで勝負しないといけません。それに対してお土産品というのは、そこに行った体験・思い出の持ち帰り、他では買えないという希少性、購入された方がご自身で食べるだけでなく周りの人達に配るという用途などにより付加価値を与えられるため、比較的高価格帯の商品として打ち出すことができます。
お土産品として販売することで、高くなってくる原価の中でも付加価値の高い商品を作れるルートを開拓したい。そういう狙いがあります。
地道な活動が大切なのですね。
その施策としてブランド化を進めているのですが、一朝一夕でできるものではありません。地道にさまざまなところで認知を広めていくというのが、非常に重要になると思います。
ぜひ、「むぎチョコ」というブランドに興味を持っていただける企業様、また販売パートナーとして一緒に「むぎチョコ」を広めていただける企業様がいらっしゃいましたら、お声がけいただければと思います。





