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ラグビー経験を武器に、未経験からプロバスケットボールB.LEAGUEクラブを変革

スポーツコミュニケーションKYOTO株式会社
代表取締役社長 松島 鴻太氏
公開日:
2025.12.01
更新日:
2025.12.01

ラグビー選手からバスケクラブ経営者へ──地域と人をつなぎ、京都の未来を創る31歳の決断

まずは松島代表ご自身の経歴についてお伺いできますか。

京都市で生まれ育ちまして、中学校からラグビーを始めました。高校は東海大学付属大阪仰星高等学校中等部・高等学校、大学は東海大学と、いずれも日本のトップクラスのラグビーチームでプレイし、キャプテンを務めました。大学卒業後は社会人として、当時トップリーグと呼ばれていた日本最高峰のリーグでも少しプレイをしました。

引退後は家業に従事していたのですが、その家業がB.LEAGUE所属のプロバスケットボールチーム 京都ハンナリーズの株を一部取得した関係で、2022年7月に京都ハンナリーズの会社スポーツコミュニケーションKYOTO株式会社の代表取締役社長に就任することになりました。実は、今までの僕の人生はバスケットボールと全く縁のない人生だったのに、です。

バスケットボールとは縁がなかった中で、本業をしながら代表に就任された経緯を教えてください。

もともとラグビーを通してスポーツの世界で育ってきた人間だったので、競技は違えど、スポーツの力、人を感動させる力というものは理解していました。自分の人生をかけてやってきたことがあると自負していたのです。

家業を兄と二人で経営していたのですが、兄の判断で京都ハンナリーズの株を一部取得することになりました。ちょうどそのタイミングで前任の代表が退任されることになり、新たなリーダーが必要になったのです。

正直に申し上げると、最初は「え、俺?」という気持ちでした。3分くらい悩みましたね(笑)。当時31歳で業界最年少でしたし、プロスポーツクラブの経営など想像もつきませんでした。京都ハンナリーズとしても大変な状況の時期だったので、かなり苦労が見えていました。

ただ、考えました。歴史文化の深い京都という街において、スポーツという新しいコンテンツで歴史を変えるチャンスがあるのではないかと。京都をさらにパワーアップできる、発展させられる、そんな可能性があるポジションに31歳で就かせてもらえること自体がチャンスだし、ロマンがあると感じました。運命的なものを感じて、3分後には「やってやろう」という気持ちに変わっていました。

就任後、最初にどのような取り組みから始められたのですか。

私の経験で一番活きたのは、高校・大学でのリーダー経験でした。高校ラグビー、大学ラグビーには「全国大会で優勝する」という明確な目標がありました。そこに対して自分がリーダーシップを発揮し、仲間を巻き込み、学校を巻き込み、地域を巻き込んで、熱い輪を広げていく──その経験でした。

スポーツクラブ経営も本質は一緒だと考えました。最初に取り組んだのは、「なぜ京都ハンナリーズがあるのか、何のために存在しているのか」を明確にすることでした。目標を立て、理念を作ることからスタートしたのです。

B.LEAGUEクラブ経営の仕組みとビジネスモデル

B.LEAGUEクラブの経営について、収益構造を教えていただけますか。

株式会社として運営しており、主な収益源は企業様からのスポンサー収入、年間30試合のホームゲームのチケット収入、グッズ販売、ファンクラブ会費、バスケットボールスクールやチアダンススクールの運営収入、そしてリーグからの分配金やアリーナでの飲食販売収入です。支出面では選手の人件費と遠征費用が大きく、事業を作るフロントスタッフ30名の人件費もあり、一企業としての経営が成り立っています。

現在、リーグ全体での京都ハンナリーズの立ち位置はいかがですか。

B.LEAGUEには2025年初頭現在、B1に24チーム、B3まで数えると50クラブ以上が存在しています。私が就任した当時の京都ハンナリーズは、B1で売上・順位・集客どれもほぼ最下位レベルでした。しかし現在では、この2年半で大きく改善し、B.LEAGUE内でもインパクトを残す勢いのあるクラブだと評価していただいていると思います。

最下位からの大改革──2年半で売上倍増、集客4倍を実現

この2年半で特に注力されたことは何ですか。

一言で言えば「クラブの価値を高めること」です。そのために、スポンサー企業様を増やすこと、ホームゲームの集客を増やすこと、勝利すること、そして地域社会への貢献──これらすべてに取り組みました。

特に真っ先に取り組んだのは営業活動です。目標と理念を明確にした上で、スポンサー企業様への働きかけを徹底的に行いました。就任時は140社だったスポンサー企業様が、現在では340社まで増えました。収益が増えただけでなく、それに紐づく従業員の方々やお客様にも応援していただけるようになり、様々な輪が広がっています。

具体的にどのように営業されたのですか。

熱量だけでやっているわけではなく、ロジックもあったとは思うのですが、一番大事にしたのは「ぶれないこと」です。最初に明確にした目標と理念を伝え続けることに尽きます。

最初の頃は、SNSなどで「Bプレミア(B.LEAGUE PREMIER)の審査なんて無理だ」と言われたりもしました。従業員も半分くらいが辞めてしまいました。でも、自分が無理だと思った瞬間に無理なのです。「自分なら絶対にできる」という強い気持ちを持ち続けてチャレンジしていくと、共感してくださる方が増え、気づけば仲間も増え、応援してくださる方も出てきました。

上から物を言うのではなく、真ん中に立ってみんなを巻き込んでいくスタイルです。できないことも多いし、苦手なことも多いので、仲間を頼って従業員に助けてもらいながら、みんなでやっていこうというスタンスを貫いています。

数字として具体的な成果を教えていただけますか。

就任時、売上は約5億円、平均集客は1,200人程度でした。それが2シーズンで、売上を倍以上にし、集客を4倍の約4,300人にまで伸ばすことができました。この数字が、昨シーズン終わりのB.LEAGUE PREMIER審査合格の一つの要因となりました。

B.LEAGUE PREMIERによるB.LEAGUEの転換期

B.LEAGUE PREMIERへの参入条件とはどのようなものなのでしょうか。

B.LEAGUE PREMIERは2026年から始まる新しい仕組みで、その参入条件で最も重要なのは「サラリーキャップ」──選手の人件費に上限を設ける制度です。現在は大企業が資金を投入してどんどんいい選手を獲得していますが、収入に対して支出が大きくなりすぎているクラブが多いのです。

サラリーキャップが導入されると、マネーゲームではなく、本当に地域に根ざしているクラブなのか、経営理念がしっかりしているのか、ファンが応援してくれているのか──そういった部分で勝負が決まります。戦力が均衡し、どこが優勝するかわからない世界観が生まれるのです。

もう一つ大事なのが「アリーナ整備」です。もう少し具体的に言うと、売上12億円以上、平均集客4,000人以上、そして2028年10月までのアリーナ整備計画といった条件を満たす必要があります。昨シーズンの審査で26チームがクリアし、京都ハンナリーズもその中に入りました。

アリーナができると、ビジネスモデルはどう変わるのですか。

たとえば沖縄の琉球ゴールデンキングスのアリーナは収容人数9,000人弱で、水曜日のゲームでも8,000人以上が入ります。チケット単価も上がり、売上が私たちの4倍くらいになるのです。

京都府様も2028年に9,000人規模のアリーナを整備されることが決まっています。サラリーキャップと新アリーナによって、各クラブがしっかり自立し、親会社に依存しない経営が可能になります。そうなれば、ファンへのコンテンツ、地域貢献活動、人材への投資など、本来投資すべきところに資金を回せます。ビジネスとして非常にチャンスがあると感じています。

京都という街で挑戦する意味──「奥ゆかしさ」を超えて

京都という街の特性について教えていただけますか。

京都は歴史文化が深く、存在意義を重視する文化があります。それが強みでもあり、弱みでもある部分です。

バスケットボール界では現在M&Aが盛んで、大企業が地方クラブを買収し、資金を投入して強化する流れがあります。しかし私たちは、竹之下オーナーが個人で大多数、あと少しの株式を中小企業で株を持ち合っているため、オーナー企業のためではなく、京都の街全体のために存在しています。

プロスポーツは、復興の象徴や地域活性化のために存在してきました。「昨日京都ハンナリーズが勝ったから、ちょっと仕事を頑張ろう」──そういう街の皆さんの心の支えになることが本来の役割です。「京都の更なる成長と発展のため、京都の未来に貢献するクラブになる」と掲げ、この想いを企業様や自治体様に伝えていくと、「みんなで京都ハンナリーズを応援しよう」という空気感が、この2年半で徐々に出てきています。

「奥ゆかしさ」を突破したいとおっしゃっていましたが。

私の世代では、本音と建前の文化を超えて、「熱狂するなら感動するなら、ユニフォームを着て堂々と応援する」──そんな世界線まで突破していきたいです。スポーツの力で新しい京都の熱狂、感動を生み出せれば、街として次のフェーズに進んでいけると信じています。

地域と人をつなぐクラブへ──これからの京都ハンナリーズ

プロスポーツクラブ経営ならではの特徴を教えてください。

プロスポーツクラブの経営は、360度すべての関係者が対象になります。ファンビジネスなので、いかに京都ハンナリーズに興味を持ってもらい、ポジティブに感じていただけるかが全てです。今この瞬間も、皆様に京都ハンナリーズに興味を持っていただこうと思って話しています。それを口コミで広げていただけることも大きなプラスになります。常にチャンスがあり、気が抜ける瞬間はありません。

オフシーズンの取り組みについて教えてください。

来年は新しい企画を考えています。京都の26市町村の自治体様と連携し、特産品を出していただき、スポンサー企業340社以上にもブースを出していただく。そこでシーズン前の選手お披露目や新ユニフォームの発表を行います。京都中の皆さんが新しい京都を発見できる、京都ハンナリーズを知っている人も知らない人も楽しめるイベントです。

また、企業様にご寄付をいただいて、京都ハンナリーズのロゴと企業様のロゴを掲示したバスケットゴールを地域の様々な場所に設置する構想も持っています。教職員の方々の働き方改革で部活動が制限される中、スポーツに触れる機会を増やすことは、地域のクラブとしての責任だと考えています。地域と人をつなげる、企業と人をつなげる、地域と企業をつなげる──それが私たちの役割です。

最後に、今後の目標を教えてください。

2028年のアリーナ完成が大きな節目になります。スポンサー企業様の8割は京都企業様ですが、残りの2割は大阪や滋賀や東京の企業様で、京都でビジネスを展開したい、スポーツを応援したいという想いでご参画いただいています。最初はそういった動機でも、気づいたら本当に熱心に応援してくださる──そんな輪が広がっています。 これからも、ぶれずに、京都の未来のために、地域と人をつなぐクラブとして挑戦し続けます。共感いただける方々と一緒に、京都ハンナリーズを、そして京都という街をもっと熱く、もっと感動的な場所にしていきたいと思っています。

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COMPANY 企業情報

企業名
スポーツコミュニケーションKYOTO株式会社
代表者
松島 鴻太
所在地
〒600-8862 京都市下京区七条御所ノ内中町64番地1 OES BLDG.5階
設立
2008年7月1日
事業内容
プロバスケットボールチーム(京都ハンナリーズ)運営
HP
https://hannaryz.jp/

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