目次
大手自動車メーカーを辞めた理由
まずは駒下社長の生い立ちから教えてください。
大阪で生まれ育ち、高校卒業後は愛知県のトヨタ自動車に就職しました。車が好きだったので、シンプルに大手の自動車会社に入りたいと思いました。製造部門に配属され、6年間勤務していました。
当時はキャリアとしてはうまくいっていたのですが、大きな会社にいると30年、40年後の自分の姿が見えてしまうのです。これは面白くないなと感じるようになりました。親としては安定した大企業で働き続けることが安心かもしれませんが、私には物足りなさがありました。
6年間という長期間勤務されてからの退職は、大きな決断だったのではないでしょうか。
「なんとかなるだろう」という気持ちでした。天井が見えているよりも、一度の人生だから何かにトライしてみようと考えたのです。今でもそうなのですが、トライしないと気が済まない性格なのです。
会社を辞めて大阪に帰ってきた時点では、次の就職先が決まっていたわけではありませんでした。とりあえず一旦帰ろうと思って帰ってきました。
バブル時代のリゾート開発から保険業界へ

大阪に戻られてからは、どのような仕事に就かれたのですか。
人の紹介で靴の卸問屋などで研修程度に入ってみましたが、どうも違うなと感じていました。当時はバブルの時期でしたので、新聞広告でリゾートホテルの会員権を開発する新しい会社の求人を見つけました。
面接を受けに行ったところ、「ぜひ」ということで採用していただきました。営業職と書いてありましたが、営業経験はありませんでした。ただ、開発の許可などがまだ正式に降りていない状況だったので、親会社にあたるゴルフの会員権販売会社で、新規の会員権販売の仕事をすることになりました。
そのような仕事を3~4年続けながら、ホテル開発も進んでいきました。その後、独立して会員権販売の代理店のような会社で3年ほど働いていましたが、バブルも弾けてきて、一生続ける仕事ではないなと感じるようになりました。
保険業界に入られたきっかけは何だったのでしょうか。
30歳の時に知り合いが勤めている会社からスカウトのような形で声をかけていただきました。「うちでやってみないか」というお話をいただき、この業界に入ることになりました。
現在60歳ですので、この業界では30年間仕事をさせていただいています。それまで営業の経験はありましたが、保険の世界は完全に未経験の状態でした。
18年間のプレイヤー経験で見えた業界の課題
保険業界に入られた当初の状況はいかがでしたか。
当時は社員でしたので、もし体調を崩して倒れたりしても、誰かが引き継いでくれます。しかし、お客様は私が全て開拓してきた方々です。「このお客様方はどうなるのか」と考えるようになりました。
また、会社組織にはどうしても様々な制約があります。「あれもダメ、これもダメ」という状況では、お客様に本当に良いサービスを提供できないのではないかと感じていました。組織という形にしておくことで、組織は存続し続けることができるのです。その中で人をしっかり育てて、お客様にも適切に継承してもらえる、そのような会社を立ち上げたいと考えたのです。
13年前の独立、4人でのスタート
独立時の状況を教えてください。
独立の際は、当時の仲間2人に「こうしたビジョンで進めていますが、よかったら一緒にやってみませんか?」という形で声をかけました。その2人と元同僚の事務員も合わせ、計4人でスタートし、それぞれが元々担当していたお客様と共に新たな一歩を踏み出しました。
その時点で私はプレイヤーとしては卒業しようと決めていました。ついてきてくれた2人には、それぞれの適性を見ながら私のお客様を担当してもらい、私はマネジメントに専念する体制にしました。
最初から固定給制度を導入されたと伺いました。
そうです。13年前の当時と今では状況が変わっていますが、保険業界は歩合制が一般的でした。私も社員時代は基本給と歩合給の組み合わせでした。
固定給制度に対しては先行きや組織として成り立つのか不安もあり、「本当にうまくいくのか」という声もありました。しかし私は従来の業態自体に疑問を持ち、売上連動の仕組みは長く続かないと考えていました。
業界初の完全固定給制度導入への挑戦

固定給制度の導入は業界では珍しいことだったのでしょうか。
昨今、保険業界は大きく動いていますが、お客様に本当にいいサービスを提供するという意味では、固定給制度になっていくことは当時から予想していました。そこで、他社より先に固定給にして、みんなの給与を個人の権利ではなく、固定費として会社が捉えられるような仕組みにしました。
固定給制度導入時の売上は1億5千万円ほどからスタートしました。既存のお客様のおかげで収益を確保でき、現在は6億円を超えるまでに成長しました。
固定給制度を成功させるために、どのような取り組みをされましたか。
固定給にするならば、適正な給料を決める仕組みが必要です。私も大手企業出身でしたので、そういう世界で育ってきました。固定給にするなら評価制度を作らなければなりませんし、評価制度を作るためには様々な制度を整備する必要があります。
コンサルタントの助けを借り、時間とお金をかけて評価制度を構築しました。会社が今年やるべきことを評価項目に組み込み、社員に実践してもらいます。社長の一存でなく、評価制度に基づき給料が決まる仕組みで、私がいなくても会社が回るようにしました。
属人化を排除した組織づくり
組織運営で特に重視されていることはありますか。
私が最も重視しているのは「属人化しない」ということです。この人にしかできない仕事とか、この人がいなくなったら困るという状況は、絶対に避けなければなりません。
あくまでも会社のやり方でやっていく。お客様へのアプローチも、会社のツールを使って、統一された方法で提案してください、というふうにしています。人が抜けても会社が回るように、これは営業だけでなく事務も同様です。管理部門も法務も同じで、それを徹底してやってきました。
新しく入社された方への対応はいかがですか。
全国に営業の知り合いがいるため、独立時にアバンスの一員として働きたいと言ってくださる方が増えています。ただ、歩合制から固定給に移るには慣れが必要で、中には「他社の方がいいのでは」と思う方もいます。それでも時間が経つと業界の変化もあり、「やはりアバンスのやり方は正しい」と理解してもらえるようになります。
採用時にもっと詳しく説明すべきだったという反省点はありますか。
そうですね。入社時にもっと丁寧に時間をかけて話すべきだったという反省はあります。しかし、業界全体の変化を見ると、最終的に私たちの方向性が正しかったことが証明されています。
13年間で離職者ゼロの秘密

13年間で退職者がいないと伺いましたが、驚異的ですね。
実は、うちの自慢は13年間で誰も辞めていないことです。一人だけ、家庭の都合で辞めた方がいらっしゃいますが、それ以外は全員残ってくれています。いつまで続くかはもちろん分かりませんが、とても嬉しいことです。
その秘訣は何だとお考えですか。
やはり、評価制度がしっかりしていて、方針がぶれていないからだと思います。ビジネス書や経営の勉強もしましたが、会社経営をしていく上で「こうするべきだ」ということよりも、「やらないとダメなこと」を着実に実践してきただけです。
例えば、固定給化するなら評価制度を作る、評価制度を作るなら人事制度を整備する、といった具合に、必要なことを一つずつ積み重ねてきました。それがぶれていないので、みんなもずっとついてきてくれているのだと思います。
お客様のリスクをマネジメントするサービス
他社との差別化についてお聞かせください。
売上を増やすだけなら、いわゆる手数料ポイントを上げるという方法があります。「これだけ売ったらこれだけ手数料を上げますよ」と言われて、より良い条件を求めて移る人たちもいます。
しかし、それをやると元々のミッションやポリシーから外れてしまいます。そのような理由で来ていただく方は、「うちではないですよ」「他が良いですよ」と逆にお断りしていたくらいです。
そこをぶらすことなくやってこられたのが、うちの強みです。お客様に対しても、保険を売るのではなく、お客様のリスクを見える化し、一緒に考えながらマネジメントするサービスを提供しています。あくまでも保険は手段の一つだという考え方で、13年間やってきました。
お客様からの反応はいかがですか。
従業員がみんな同じ方向を向いてくれているので、あまりガツガツ営業することはありません。だから社長から「もっと積極的に提案してほしい」と言われることもあります。けれど、一度お客様から声をかけていただくと、その後は長くお付き合いいただけるのです。そこが私たちの強みですね。
業界変化への先見性と組織対応

業界の今後の見通しについてはいかがですか。
手前味噌ですが、十数年前から「こう変わってくるだろうな」と言っていたように変わってきて、金融庁の業法もついてきてくれたという印象を持っています。
現在も、同業他社で後継者がいない高齢化の問題や、小規模で運営されているところ、例えば株式会社と言いながら実は営業の人と奥さんの2人でやっているような会社がすごく多い業界なので、そういったところからの相談がたくさん来ます。「うちに合併させてくれ」とか「業務を助けてくれ」といったお話です。
具体的にはどのような業務整備をされているのですか。
いかに組織化をして、しっかりと業務整備をしていくということが大切かということを、私たちは時間もお金もかけてやってきました。ですから、業法に合わせて慌てることはありません。うちのやっていることをそのまま続けていけば良いと社内では話しています。
今年・来年で業界は大きく変わるため、1〜2人の小規模体制では対応できません。コンプライアンスや書面・お客様情報の管理など、さまざまな規制への対応が必要です。
経営者としての成功体験と失敗体験
経営者として印象に残っている出来事はありますか。
成功体験と失敗体験は表裏一体だと思っています。人を増やすにあたっても、こちらからどんどんスカウトしていくタイプではないので、仲間が独立するタイミングでアバンスに来てくれるという形で人が増えています。
ただ、環境が変わるということは大きな変化です。今まで歩合制で自由にやっていた人が、固定給になってアバンスのやり方に従ってくださいということになると、最初は戸惑われます。「あれ、少し違うのでは?」「他社の方が給料がいいのでは?」と考える人も出てきます。
そのような状況をどう乗り越えられましたか。
やはり時間が必要でした。業界が変わってきて「やっぱりアバンスの言っていることは間違いないよな」と思ってもらえるようになるまでに、時間がかかるのです。
もっと私が入社時に細かく詰めて、時間をかけて話すべきだったという反省はあります。ただ、最終的にはみんなが納得してくれて、13年間誰も辞めていないという結果につながっています。
若いアスリートを支援する想い
社会貢献活動について教えてください。
特に地域との大きな取り組みはしていませんが、どこかの活動に寄付して参加するという程度のことはしています。
これは趣味の一環でもありますが、苦労してきた経験から、若くて頑張っている人を助けたいという想いがあります。プロゴルファーでも二軍や、業界でまだ食べていけない選手は多く、そうした人たちを応援しています。
プロになったばかりの選手や、まだ芽が出ていない選手をスポンサーとしてサポートしたり、会社として横のつながりの場に少し顔を出して、小さな大会を開いたりしています。
セカンドキャリアも意識されているのですね。
そうですね。これを目的にやっているわけではありませんでしたが、この人たちがこのまま30歳、40歳になって、ずっと同じことをしているわけにはいかないので、セカンドキャリアとして私たちの会社で働いてもらうということもありかなと思っています。
社内では、こういった活動によって「私たちの取り組みが、こんな場面でも役立っているのです。」ということを伝えています。社外には大きくアピールしませんが、社内では共有しています。
次世代に向けた会社づくりとオフィス改革

今後の会社づくりについて教えてください。
保険の業界は営業ゴリゴリみたいなイメージがありますが、当社の場合は全く一切そういうことがありません。いかにお客様のリスクに対してお役に立てるかということに集中しています。
別に保険に入っていただかなくても、お客さんに喜んでもらえることはたくさんありますし、そのリスクの解決方法として保険ではなくそれ以外のご提案をしたり、そういったことをつなげたりすることもたくさんしています。間違いなくうちの社員は、お客様に喜んでいただいていると確信しています。
オフィス環境の改善にも取り組まれているそうですね。
そういう営業会社というイメージを払拭したいので、例えば本社(大阪)と岐阜と浜松で展開しているのですが、まずは本社からオフィスのリニューアルをして、事務所ではなくオフィスにしようと考えています。
そこにはお金をかけてでも、楽しくみんなが仕事をしていただけるような環境を作りたいと思っています。岐阜や浜松は、ちょっと大阪とは違うかもしれませんので、そこにはその地域に合った、お客様がお茶やコーヒーを飲みに来るぐらいの雰囲気の店舗を作りたいなと考えています。
どのような人材を求めていらっしゃいますか。
うちは営業でテレアポを打って飛び込みをするという会社ではありません。お客様に本当にいいサービスを提供するという思いで働いていただければ、それだけで十分価値があると思います。そのような仕事に喜びを感じられる仲間、一緒に会社を成長させていける仲間、次世代やその次の世代のアバンスを担っていただけるような仲間を随時募集しています。