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海軍エリートの家系が築いた川重との絆、三代目として継いだ厳しい現実
まず、吉岡興業様の沿革について詳しく教えていただけますでしょうか。
弊社は1956年(昭和31年)に祖父が設立した会社ですが、その背景には興味深い歴史があります。祖父は第二次世界大戦時に海軍少佐を務めており、江田島海軍兵学校を首席で卒業し、天皇陛下から刀剣や懐中時計をいただくようなスーパーエリートでした。その父親、つまり私の曽祖父も海軍中将で、戦艦の設計責任者を務めていました。
弊社と川崎重工業との関係は戦前に遡ります。世界恐慌が起きている時代、神戸の川崎重工業が倒産の危機に陥っていました。「産業の灯を消すな」ということで、甲南大学を設立された平生釟三郎さんという方が手弁当で社長に就任し、会社の建て直しに取り組まれました。
平生さんは川重が軍艦を受注していないことが経営悪化の原因だと気づき、一人で東京の海軍にトップ営業に行かれたのです。その時に相対したのが海軍中将であった私の曽祖父でした。そこで意気投合し、曽祖父は川崎重工業の専務に就任しました。
戦後、海軍しか知らない祖父は生活に困窮していましたが、父親が川重の専務をしていた縁で川崎重工業に物を売ることから商売を始めました。「面白い人が来た。あなたのお父さんにもお世話になった。何でも買うよ」と言ってくださったことが、弊社の商売の出発点です。現在でも弊社の売上の9割は川崎重工業、三菱重工、JFEスチールといった大手企業様との取引が占めています。
社長ご自身はどのような経緯で家業に入られたのでしょうか。
関西学院大学卒業後、上場会社に入社し、36ヶ月連続で1位の営業成績を収め、当時最年少で事業所長に就任しました。10年ほど勤めた後に家業に入社しましたが、その時の状況は本当に厳しいものでした。
借金が13億円、不良在庫が8000万円、未回収金が3億円、加えて社内では不正も横行していました。当時の社長や役員には、「この問題を解決できるのは社長の息子である君しかいない」と言われ、結果として社員からは非常に嫌われることになりました。
非常に殺伐とした状況で、私が入社した時にいた社員で今も残っているのは1人だけです。現在は借金13億円をきれいに返済し、実質無借金で、常に5~6億円のキャッシュがある状態まで改善できました。
物販営業の利益率1%という現実に直面、工事・メンテナンス事業への大転換

大きな事業転換をされたとお聞きしましたが、どのような経緯だったのでしょうか。
15年ほど前まで、弊社は物販営業が中心でした。“現場”のお客様から直接注文をいただいていましたが、すべての大手企業様が、“調達”・ “購買”・ “資材”からしか発注しないというシステムに変更されました。
調達部門からメールで見積依頼が来て、一番安いところに自動的に発注されるシステムになったのです。それまで13~15%あった物販の利益率が、本当に1%程度まで下がってしまいました。20億円の売上でも利益はわずか2000万円程度。これでは確実に破綻すると判断し、物販営業からの撤退を決断しました。
新たにどのような事業に転換されたのでしょうか。
お客様の工場構内での工事やメンテナンスに転換しました。商談の中で価格が決まる案件は、競争があまり働きません。お客様も複数の会社に現地調査をしてもらう時間的余裕がないため、だいたい弊社を含めて2~3社程度での商談になります。
ただし、建築施工管理技士、管工事施工管理技士、電気工事施工管理技士、電気通信工事施工管理技士、土木施工管理技士など、様々な資格が必要になりました。私と新人で毎年資格試験を受け続け、現在は建築関係の資格はほぼコンプリートしており、今年から二級建築士にも挑戦しています。
経営センスを磨いた意外な原点:中学退学後の読書体験が組織論の基礎に
経営感覚はどのように身につけられたのでしょうか。
感覚を身につけた機会があったとすれば、10代の頃の特殊な体験です。私は灘中学に落ちてしまい四国の愛光学園というところに行ったのですが、中学2年の時に退学になってしまいました。その流れで、引きこもりになってしまいました。
高校受験も何もしていませんから、何もすることがありませんでした。映画を観に行くようになり、「戦場のメリークリスマス」を40回ぐらい観ましたし、「スター・ウォーズ ジェダイの復讐」も40回ぐらい観て、暗記するぐらいでした。
とにかく暇だったので図書館にも行くようになり、世界文学全集を読み漁りました。ロシア、フランス、イギリス、アメリカの近代文学を、図書館にあったものはほぼ全部読んだと思います。
その時に気づいたことがあります。「これだけ人種も生まれも考え方も環境も時代も違うのに、感覚は一緒だな」ということです。親を殺されたらみんな復讐心を持ったり、女性に振られたら泣いたり、誰かに嫉妬したり、人間の基本的な感情は一緒でした。
感情を持つ様々な人間が、私の心の中のシューズクロークのようなところに全部収納されていったのです。人間を観察する力や、違和感を覚える感覚が、この10代中盤から後半にかけて発達していったのです。小説を読み漁ることで、組織論を学んでいたのだと思います。組織は人間の集合体ですから。
「同業他社に興味がない」独自路線を貫く経営哲学

同業他社との差別化はどのように図っていらっしゃいますか。
同業他社に全く興味がありません。私も創業者の孫だから社長になっているだけで、周りの同業他社も同じような状況です。私はその中で、家を建て替えている人間だと考えていますが、他の経営者たちは家の外壁のペンキを塗り直しているだけです。
くくられるのも嫌ですし、「もっと遠くへ行きたい」というモチベーションが非常に強いです。同業他社はみんな物販が大好きですが、弊社は物販商社からエンジニアリング業、メーカー機能も持つファブレス企業へと変化しています。
経営者として大切にされていることはありますか。
私も含めて、一人で生きていけないから会社で働いているという根っこを忘れてはいけないということを、一番大切にしています。
様々な経営者や会社を見ていて、すごい経営者が突然いなくなっても、その会社が潰れないということを目の当たりにしています。私が死んでも、意外と何とかなるのです。私がいなくなれば、逆に会社はちょっと良くなるのでは、とさえ思っています。そこを忘れると、承認欲求が暴走し始めるのではないかと思っています。
経営者としての失敗体験を教えてください。
会社を変革する際に、当時の社員が全員辞めてしまったことです。業界で非常に悪い評判が立ち、SNSでも色々と書かれました。もう少し上手なやり方があったのではないかと、たまに思います。自分の人としての器がもっと大きかったら、もっとうまくいけたのではないかという思いは常にあります。
業界の常識を覆すSNS戦略と営業トーク大会による人材確保
レガシーな業界でありながら、SNSに力を入れられている理由は何でしょうか。
営業職は人気がなく、募集をかけても50歳を過ぎた方ばかりしか応募がありませんでした。そこでSNSを活用するようになり、20代、30代の方にも来ていただけるようになりました。
地域貢献と次世代人材育成への取り組み
地域社会への貢献について教えてください。
大きく分けて2つの取り組みを行っています。
一つ目は「ロボ☆プロキッズ」というプログラミング塾の運営です。小学生から中学3年生まで、Python言語でオリジナルゲームを作るところまで責任を持って指導しています。弊社の会社内で運営し、優秀な理系の学生先生を多く配置していますが、商売としてはトントンです。
地域貢献のために始めた取り組みで、現在約50人の生徒が通っており、母子家庭や父子家庭の方には授業料を半額にしています。プログラミングは英作文に似ており、構文を覚えていけば誰でもできるようになります。
二つ目は営業トーク大会で、この業界全体の課題である「営業が人気ない、若い人が来ない」という状況を改善する取り組みです。今年で3回目になり、30名ほどがトーナメント形式で参加します。「うちの業界は営業が盛り上がっている」という映像をYouTubeで見せることで、本当に営業を極めてみたいと思ってくれる人と出会えるのではないかと考えています。弊社は主催者ですが黒子に徹しており、動画は参加企業にも自由に使ってもらっていますし、業界全体が活性化すればいいなと思っています。
日本全国のものづくり企業への挑戦と共に成長する仲間の募集

今後のビジョンについてお聞かせください。
私たちの理想は「日本全国のモノづくり企業様に、工事・メンテナンスでお役立ちすることが、楽しい!」ということです。もともとは関西で事業を展開していましたが、現在はソリューションサイトも10個ほど立ち上げ、全国から問い合わせをいただいています。
他県にも製造工場を持つお客様が転勤された際に、「こちらでも頼みたい」と言っていただけることも増えています。
日本全国のものづくり企業様へ
工場施設のメンテナンス、工場設備のメンテナンス、配管工事、土木工事、電気工事、電気通信工事など、製造現場でお困りのことがございましたら、ぜひ吉岡興業にご連絡ください。私たちは目覚まし時計100個をかけたぐらいの勢いで、日本全国のお客様のもとに、お約束の日時に、駆けつけます。
各種施工管理技士の資格を持った技術者のバックアップのもと、セールスがお客様の課題解決に全力で取り組みます。商談の中で適正価格を決めさせていただきますので、安心してご相談ください。
一緒に会社を成長させてくれる仲間を募集
現在、営業職を中心に共に会社を成長させてくれる仲間を募集しています。弊社は利益率1%だった物販事業を縮小し、工事・メンテナンス事業に転換しました。売上は40億円から26億円に減りましたが、利益率は大幅に改善。現在は工事・メンテナンス事業で再び40億円の売上を目指しています。
こんな方をお待ちしています
- 本気で営業を極めたいと考えている方
- モノづくり企業の課題解決にやりがいを感じる方
- 建設・工事分野で技術や資格を身につけたい方
- 地域に根ざした企業で長期的にキャリアを築きたい方
若い人もベテランも一丸となって、みんなで会社を40億円まで復活させる挑戦に参加してくださる方をお待ちしています。