
創業から100年、先代たちの思いを受け継ぎながら新事業にも果敢に挑む次期5代目「大西 潤」
株式会社日東社
専務取締役 生産本部長 大西 潤氏
先代とは違う世界を見てみたい!東京の大学へ進学、大手コンサルティング会社へ入社

高校を卒業後、東京の大学へ進学されたのはなぜですか?
私は兵庫県にある中高大一貫校に通っていましたが、「新しい世界を見てみたい」という思いが強まり、東京の大学への進学を決めました。
祖父と父は兵庫県内の大学を卒業し、そのまま日東社へ入社していたので私も地元にとどまる選択肢もありましたが、あえて関東へ出て視野を広げ、異なる環境を経験したいと思ったんです。
祖父と父は兵庫県内の大学を卒業し、そのまま日東社へ入社していたので私も地元にとどまる選択肢もありましたが、あえて関東へ出て視野を広げ、異なる環境を経験したいと思ったんです。
大学卒業後、すぐ日東社へ入社されなかったそうですね。
大学卒業後は、そのまま東京本社の企業に就職しました。
周りの友人は外資系コンサルティング会社や五大商社などの大手企業を受けていました。私自身もそういった世界に憧れて面接を受けて内定もいただけましたが、家業は中小企業なので大企業でのノウハウは役立たないと気づきました。
結果、規模・業界問わず全企業が課題となる組織人事領域コンサルティングを行うリンクアンドモチベーションへの入社を決めました。
周りの友人は外資系コンサルティング会社や五大商社などの大手企業を受けていました。私自身もそういった世界に憧れて面接を受けて内定もいただけましたが、家業は中小企業なので大企業でのノウハウは役立たないと気づきました。
結果、規模・業界問わず全企業が課題となる組織人事領域コンサルティングを行うリンクアンドモチベーションへの入社を決めました。
入社時に実家が日東社・ノアインドアステージを経営していることは伝えていたのですか?
実は、当時リンクアンドモチベーションとノアインドアステージがたまたま契約していて、面接時に、テニススクールでコーチのアルバイトをしていた話をしたら、大西という名前を見て、僕が社長の息子であることがバレたんです。
いずれ退社すると分かっていながら、社長と会長が面接してくれて、内定をいただきました。リンクアンドモチベーションは、リクルートから独立した企業だったので、キャリアの「卒業」という考え方が当たり前だったんです。リンクアンドモチベーションへの入社は運命だなと思っています。
結果、4年3ヶ月間、組織コンサルティングの現場で経験を積ませていただきました。
いずれ退社すると分かっていながら、社長と会長が面接してくれて、内定をいただきました。リンクアンドモチベーションは、リクルートから独立した企業だったので、キャリアの「卒業」という考え方が当たり前だったんです。リンクアンドモチベーションへの入社は運命だなと思っています。
結果、4年3ヶ月間、組織コンサルティングの現場で経験を積ませていただきました。
日東社へ入社するきっかけはなんですか?
2018年に開催された日東社の設立95周年記念の社員旅行ですね。
当時はリンクアンドモチベーションに在籍していましたが、一緒に旅行先のハワイへ同行しました。
初日に全社員が集まるパーティーがあって、何名かが前にでてスピーチをすることになったんです。
そこに私も選ばれて、社員全員の前で「1年後に入社します」と宣言したのがきっかけです。そして2019年7月に日東社へ入社しました。
当時はリンクアンドモチベーションに在籍していましたが、一緒に旅行先のハワイへ同行しました。
初日に全社員が集まるパーティーがあって、何名かが前にでてスピーチをすることになったんです。
そこに私も選ばれて、社員全員の前で「1年後に入社します」と宣言したのがきっかけです。そして2019年7月に日東社へ入社しました。
コロナ禍で他事業を手放すも、マッチ事業だけは手放さなかった理由

入社したときの会社の経営状況はどうでしたか?
経営状況は詳しく把握していませんでした。
でも、95周年記念の社員旅行としてハワイへ行けるくらいだから、順調なんだろうなくらいに思っていました。
ノアインドアステージも続々と店舗数を増やし、従業員の士気も高いなと感じていました。
当時、父は日東社とノアインドアステージの両方で社長を務めていて、日東社は祖父、叔父が、ノアインドアステージは父がメインで見ていた感じです。入社時は、父に日東社をメインで見るよう指示されました。
でも、95周年記念の社員旅行としてハワイへ行けるくらいだから、順調なんだろうなくらいに思っていました。
ノアインドアステージも続々と店舗数を増やし、従業員の士気も高いなと感じていました。
当時、父は日東社とノアインドアステージの両方で社長を務めていて、日東社は祖父、叔父が、ノアインドアステージは父がメインで見ていた感じです。入社時は、父に日東社をメインで見るよう指示されました。
そもそも、マッチ事業とテニス事業は全く違う事業ですが、テニス事業をはじめることになった経緯をお伺いしてよろしいでしょうか?
もともと日東社の一部工場用地を利用する目的ではじめています。
1970年代以降、ライターが普及してマッチの需要が減って、工場の稼働率が低下していました。
遊休地として放置すると税負担が増えるので、なにか有効利用できる方法を模索していたところ、一番投資金額がかからなかったテニス事業になったんです。
当時は第二次テニスブームの真っただ中で、若い女性を中心に流行していたため、事業として成立すると祖父が読んだそうです。
1970年代以降、ライターが普及してマッチの需要が減って、工場の稼働率が低下していました。
遊休地として放置すると税負担が増えるので、なにか有効利用できる方法を模索していたところ、一番投資金額がかからなかったテニス事業になったんです。
当時は第二次テニスブームの真っただ中で、若い女性を中心に流行していたため、事業として成立すると祖父が読んだそうです。
第二次テニスブームの中であれば利益もかなり出たのでは?
それが、テニスコートが屋外だったので天候・季節で売り上げが左右されてたんですよね。
そこで父がテニスについて学んだり、他社のことも調べたりしながら、日東社から1億円の資金支援を受け、インドアテニススクールへと切り替えたそうです。その結果、売上は1億円を超え、店舗数も拡大していきました。
そこで父がテニスについて学んだり、他社のことも調べたりしながら、日東社から1億円の資金支援を受け、インドアテニススクールへと切り替えたそうです。その結果、売上は1億円を超え、店舗数も拡大していきました。
両社ともに経営は順調に見えますが、日東社は事業譲渡をする側とされる側の両方を経験しているそうですね。
はい。創業当時、マッチを作っている会社はたくさんあって、日東社は業界トップの会社ではありませんでした。
のちに、ライターが普及してきて、マッチ需要は減少していました。マッチの製造機械のメーカーもどんどん撤退していって、マッチを製造したくても、機械の修理ができないので仕方なく廃業する企業が増えている状況でした。
そんななか、祖父がマッチ業界の組合会長を務めていたこともあり、複数の企業から「事業を引き継いでほしい」と相談が複数寄せられたそうです。
のちに、ライターが普及してきて、マッチ需要は減少していました。マッチの製造機械のメーカーもどんどん撤退していって、マッチを製造したくても、機械の修理ができないので仕方なく廃業する企業が増えている状況でした。
そんななか、祖父がマッチ業界の組合会長を務めていたこともあり、複数の企業から「事業を引き継いでほしい」と相談が複数寄せられたそうです。
同業の方たちの思いを今も受け継いでいらっしゃるのですね。
今日本でマッチを一貫生産している企業はうちともう1社の2つだけです。「祖父が大切に守ってきた事業を途絶えさせたくない」という思いがあり、事業譲渡する側になっても、マッチ事業だけは残しています。
事業譲渡する側のお話もお伺いしてもよろしいでしょうか。
当時、マッチ以外ではライターの名入れ・ポケットティッシュ・おしぼりなどを製造していました。
ですが、コロナ禍で飲食店の営業が減少し、おしぼりの需要が減ってしまい、駅前でのポケットティッシュ配布もほとんど行われなくなりました。また原材料費の高騰が止まりませんでした。
今後の回復は見込めないと判断し、2023年にポケットティッシュ・紙おしぼり・ウェットティッシュ等の紙製品事業および東京・名古屋・大阪・福岡の各営業所を譲渡しました。
ですが、コロナ禍で飲食店の営業が減少し、おしぼりの需要が減ってしまい、駅前でのポケットティッシュ配布もほとんど行われなくなりました。また原材料費の高騰が止まりませんでした。
今後の回復は見込めないと判断し、2023年にポケットティッシュ・紙おしぼり・ウェットティッシュ等の紙製品事業および東京・名古屋・大阪・福岡の各営業所を譲渡しました。
事業譲渡の際、M&Aアドバイザーを介してご契約されたのでしょうか?
譲渡される側の時は自分たちだけで、譲渡する側の時はアドバイザーを入れました。
アドバイザーを入れた時と入れなかった時でなにか違いはありましたか?
譲渡される側だったときは、マッチを生産する企業も少なかったことにより我々が受け入れることが決まっていたため専門家を入れず、相手企業と直接やり取りして要望を受け入れる形だったと聞いています。
事業譲渡する際には、アドバイザーを利用しました。
コロナ禍だったので、買取してくれる会社自体少ない状況でしたが、譲渡先の選定や条件交渉もスムーズに進みました。
事業譲渡する際には、アドバイザーを利用しました。
コロナ禍だったので、買取してくれる会社自体少ない状況でしたが、譲渡先の選定や条件交渉もスムーズに進みました。
事業譲渡する際、何かトラブルなどはありましたか?
突然のことに現場の従業員からは反発の声も上がりました。
ですが、社長が変わるだけという形式で、仕事内容や給与等の変更もなく事業が無事に引き継がれた今は、工場で働く従業員も大切にされていると感じています。
ですが、社長が変わるだけという形式で、仕事内容や給与等の変更もなく事業が無事に引き継がれた今は、工場で働く従業員も大切にされていると感じています。
入社後の失敗談と今後の課題

2019年に入社されてから「失敗したな」と思ったエピソードはありましたか。
コロナ禍の事業譲渡ですね。入社してから半年間は、工場やでの現場体験したり、営業所を巡って社員の商談に同行したりしながら現場の状況を把握するところからスタートしました。
前職で得た知識を活かし、課題を整理した上で先代に提案したんです。ですが、父も祖父もあまりピンとこなかったのか、反応は薄かったんです。
その直後にコロナ禍が始まり、課題解決することなく事業の譲渡を決断しました。あの時、もう少し強くプッシュして自分で課題解決に向け動いていれば、事業を手放すことはなかったのかもしれないと考えることもあります。
前職で得た知識を活かし、課題を整理した上で先代に提案したんです。ですが、父も祖父もあまりピンとこなかったのか、反応は薄かったんです。
その直後にコロナ禍が始まり、課題解決することなく事業の譲渡を決断しました。あの時、もう少し強くプッシュして自分で課題解決に向け動いていれば、事業を手放すことはなかったのかもしれないと考えることもあります。
日東社の今後の課題を教えてください。
マッチ事業では、ただ火をつけるための道具ではなく、付加価値を高め、選ばれる商品へと進化させていきたいです。今、マッチの市場規模は戦後ピーク時の1/100にまで縮小していて、昨今の物価高の影響もあって値上げにより利益を確保している状況ですが、新たなユーザーを取り込むためのブランディングが必須だと考えています。
あとは、製造業は受け身の姿勢になりやすいため、従業員が自ら考え、積極的にアイデアを出せる環境づくりもしていきたいと思っています。
あとは、製造業は受け身の姿勢になりやすいため、従業員が自ら考え、積極的にアイデアを出せる環境づくりもしていきたいと思っています。
ノアインドアステージはいかがでしょうか。
近年の異常気象で、今は屋外スポーツよりも室内スポーツが好まれているので、テニスにこだわらず、施設の空き時間を有効利用していくことです。
テニススクールの空き時間を使って、バドミントンスクールの導入、バスケットボール・卓球・子ども向けの運動教室・高齢者向けのプログラムも企画・運営しています。
ほかにも、少子高齢化の影響で子どもの数が減少し、従来のような運営が厳しいため、今後は学校と連携を深め、中体連の試合にスクールとして参加するなど、新たな試みに挑戦していきます。
テニススクールの空き時間を使って、バドミントンスクールの導入、バスケットボール・卓球・子ども向けの運動教室・高齢者向けのプログラムも企画・運営しています。
ほかにも、少子高齢化の影響で子どもの数が減少し、従来のような運営が厳しいため、今後は学校と連携を深め、中体連の試合にスクールとして参加するなど、新たな試みに挑戦していきます。
地域貢献、大賞受賞など……大西氏が考える今後の展望について
地域貢献などでなにかされていることはありますか?
各テニススクール近辺を中心に地域の学校を訪問し、子どもたちに「テニピン」を無料で指導しています。
ラケットの代わりにグローブをはめて行うもので、運動が苦手な子どもでも楽しめるため好評です。
また、マッチ事業では工場見学を積極的に受け入れています。
見学では、マッチの歴史や製造工程を学び、実際に製造現場を見てもらうことで、伝統産業への理解を深めてもらっています。
ある旅行代理店さんが企画された姫路市の観光イベントでいくつかルートがありました。どうしても一番人気のルートは姫路城になったそうですが、見学コースの中でマッチの工場見学も結構人気で多くの方が来られました。
あとは、地元の学校や役所、銀行と連携してなにかできないかと考えていて、「まち(マッチ)づくりカンパニー」として地域を盛り上げる企画を考えているところです。
ラケットの代わりにグローブをはめて行うもので、運動が苦手な子どもでも楽しめるため好評です。
また、マッチ事業では工場見学を積極的に受け入れています。
見学では、マッチの歴史や製造工程を学び、実際に製造現場を見てもらうことで、伝統産業への理解を深めてもらっています。
ある旅行代理店さんが企画された姫路市の観光イベントでいくつかルートがありました。どうしても一番人気のルートは姫路城になったそうですが、見学コースの中でマッチの工場見学も結構人気で多くの方が来られました。
あとは、地元の学校や役所、銀行と連携してなにかできないかと考えていて、「まち(マッチ)づくりカンパニー」として地域を盛り上げる企画を考えているところです。
今後どんな会社にしていきたいか、今後の展望などを教えてください。
今後の目標としては、15年後までに「日本でいちばん大切にしたい会社大賞」を受賞したいです。
有名な会社だと、伊那食品工業さんが受賞されている賞なんですが、私自身この学会にも入って研修なども受けたこともあります。
選考基準が、他社と差別化した商品を扱っていて、従業員も大切にしている会社で、まさに私が目指しているところなので、15年後には受賞したいですね。
その第一歩として、2025年2月27日に「第7回姫路市女性活躍推進企業」に選ばれて3月18日には表彰式に出るんです。
有名な会社だと、伊那食品工業さんが受賞されている賞なんですが、私自身この学会にも入って研修なども受けたこともあります。
選考基準が、他社と差別化した商品を扱っていて、従業員も大切にしている会社で、まさに私が目指しているところなので、15年後には受賞したいですね。
その第一歩として、2025年2月27日に「第7回姫路市女性活躍推進企業」に選ばれて3月18日には表彰式に出るんです。
おめでとうございます。具体的にどういった部分が評価されたとお考えですか?
製造業では珍しく、女性社員の比率が高く、育児と両立しやすい職場環境なんです。例えば、朝の小学校登校の当番の日などは、2時間から使える有給休暇を取得している社員もいます。まずは姫路から、そして関西、日本と、どんどん賞をとっていきたいと考えているので、新規事業でしっかり利益を上げていきたいと思います。今回の第7回姫路市女性活躍推進企業の受賞はいいスタートダッシュをきれたと思います。
ノアインドアステージとしてはいかがでしょうか。
ノアインドアステージも、もちろんこの賞をとりたいです。今後の店舗拡大はまだ不明確のため、今の若いメンバーが育っていくときに責任者のポストが空いてない状況にならないような状況づくりや、部門同士の横のつながりを強化していきたいです。
今も情報共有はできていますが、もっと効率よくできると考えていて、例えば店舗ごとのSNS運用ひとつとっても今は各店舗でやっているので、これをマニュアル化するなど、もっとやり方があると考えています。もちろん、コーチたちの意見や個性も尊重しながらやっていきたいです。
日東社とノアインドアステージなどグループ会社のホールディングス持株会社を2022年4月に設立しました。グループ会社の連携強化を目的に、自身の右腕となるような人材に出会えればいいなと考えています。
今も情報共有はできていますが、もっと効率よくできると考えていて、例えば店舗ごとのSNS運用ひとつとっても今は各店舗でやっているので、これをマニュアル化するなど、もっとやり方があると考えています。もちろん、コーチたちの意見や個性も尊重しながらやっていきたいです。
日東社とノアインドアステージなどグループ会社のホールディングス持株会社を2022年4月に設立しました。グループ会社の連携強化を目的に、自身の右腕となるような人材に出会えればいいなと考えています。
COMPANY INFO会社情報
- 企業名
- 株式会社日東社
- 代表者
- 大西 雅之
- 所在地
- 〒672-8014 兵庫県姫路市東山524
- 設立
- 大正12年
- 事業内容
- マッチ・ライター・のぼり・販促品の企画製造販売
- ホームページ
- https://www.nitto-sha.co.jp/