
借金9億円、親族間トラブル…問題だらけの会社で唯一諦めなかった男「市川慎次郎」とは?
株式会社横引シャッター
代表取締役 市川 慎次郎氏
株式会社横引シャッターについて

会社の概要を教えていただけますか?
当社は、横に動くシャッターを製造・販売しています。
うちは元々、親会社である株式会社中央シャッターという会社があって、それが今年創業55年になります。
その中央シャッターで、他社からの依頼で横に引くタイプのシャッターを修理していたんです。
中央シャッターも、上下シャッターとか、お店の入口のひさしのテントとか看板とかを取り扱っているんですけど、かなり動きが悪いということだったので、横に引くタイプのシャッターでも修理に行って対応していたのですが、40年前くらい前にある大手企業さんが、「こんな動きの悪い横引シャッターを売っていたら、うちのブランドに傷が付く」って言って、一時期販売停止にしていたことがありました。
その頃うちは横引きシャッターを修理していたので、動きの良い横引きシャッターを作って販売したらいいんじゃないかということで、先代の社長が開発をして中央シャッターの製品として、商社に売りに行きました。
そうしたら、「どんなにいい製品を作っても、一町場の下請けの会社からはね、俺たちは買わねよ。」と言われたんです。
これは大手さんからみんなから言われて、「それだったら、その横引きシャッター、特殊シャッターだけを作るメーカーとして、メーカー対メーカーの取引にしよう」となり、1986年に株式会社横引シャッターを設立しました。
うちは元々、親会社である株式会社中央シャッターという会社があって、それが今年創業55年になります。
その中央シャッターで、他社からの依頼で横に引くタイプのシャッターを修理していたんです。
中央シャッターも、上下シャッターとか、お店の入口のひさしのテントとか看板とかを取り扱っているんですけど、かなり動きが悪いということだったので、横に引くタイプのシャッターでも修理に行って対応していたのですが、40年前くらい前にある大手企業さんが、「こんな動きの悪い横引シャッターを売っていたら、うちのブランドに傷が付く」って言って、一時期販売停止にしていたことがありました。
その頃うちは横引きシャッターを修理していたので、動きの良い横引きシャッターを作って販売したらいいんじゃないかということで、先代の社長が開発をして中央シャッターの製品として、商社に売りに行きました。
そうしたら、「どんなにいい製品を作っても、一町場の下請けの会社からはね、俺たちは買わねよ。」と言われたんです。
これは大手さんからみんなから言われて、「それだったら、その横引きシャッター、特殊シャッターだけを作るメーカーとして、メーカー対メーカーの取引にしよう」となり、1986年に株式会社横引シャッターを設立しました。
エントランスから会議室までかなりの数のメディア掲載に関する情報が目につくのですが、こちらは何か意図があってのことでしょうか。
まだまだBtoBでも認知度は低いので、認知度向上を目的に多くのメディアからの取材を受けています。
おかげさまで当社のことを知ってくれている方は増えてきている印象を受けています。
お客様が当社のことを知らないで選ぶのと、知ってて選ぶのは絶対に後者の方がいいと思うので、今後もメディアへの露出や講演会など多くの方々に認知してもらえるような機会は作っていきたいです。
おかげさまで当社のことを知ってくれている方は増えてきている印象を受けています。
お客様が当社のことを知らないで選ぶのと、知ってて選ぶのは絶対に後者の方がいいと思うので、今後もメディアへの露出や講演会など多くの方々に認知してもらえるような機会は作っていきたいです。
横引シャッターはどのようなところで使用されることが多いのですか?
どんなところで主に使用されているかと言えば、日常生活で関わるようなところだと、駅の売店や、ショッピングモールの各テナントで使用されているケースになりますかね。
最後閉店したらガラガラと横に引いて閉める、そういうシャッターですね。
その他にも、原子力発電所とか火力発電所とか、いわゆる特殊施設って言われるところの奥の方にある、機械を守るためだけにフルスペックで作っていたりもします。
あとは、大手の自動車メーカーの工場は、製造工場と開発工場が別なのですが、開発工場の方では、全工場のどこかしらにうちのシャッターが付いていたりします。
ただ、シャッターなので、普段から見ていても意識は向いてないものではあるため、記憶には残らないものにはなりますが、皆さんどこかしらで何か当社の製品を見ているかもしれないですね。
最後閉店したらガラガラと横に引いて閉める、そういうシャッターですね。
その他にも、原子力発電所とか火力発電所とか、いわゆる特殊施設って言われるところの奥の方にある、機械を守るためだけにフルスペックで作っていたりもします。
あとは、大手の自動車メーカーの工場は、製造工場と開発工場が別なのですが、開発工場の方では、全工場のどこかしらにうちのシャッターが付いていたりします。
ただ、シャッターなので、普段から見ていても意識は向いてないものではあるため、記憶には残らないものにはなりますが、皆さんどこかしらで何か当社の製品を見ているかもしれないですね。
BtoBのお取引が、やはりメインなのですか?
そうですね。
お問い合わせがエンドユーザーからダイレクトにくれば、直接話はしますが、比率的には8:2ぐらいの割合でtoBがメインになりますね。
toBの方の比率でいったら、スーパーゼネコンといわれる5社が3割ぐらいを占めています。
その他はシャッターメーカーや工務店などになります。
お問い合わせがエンドユーザーからダイレクトにくれば、直接話はしますが、比率的には8:2ぐらいの割合でtoBがメインになりますね。
toBの方の比率でいったら、スーパーゼネコンといわれる5社が3割ぐらいを占めています。
その他はシャッターメーカーや工務店などになります。
「一町場の下請け会社からは買わない」大手に断られ鳴かず飛ばずの7年半
創業された頃の経営状況はいかがでしたか?
初めの頃は、正直製品開発しても鳴かず飛ばずで、全然売れなかったんです。
なので、展示会も7年半の間、毎年計算すると年に2.5回出していて、東京・関東の展示会から、一番遠くは関西の展示会まで、うちの宣伝を社長が行ってずっとやってました。
それでもやっぱり認知度が低いですし、鳴かず飛ばずで、もう本当に大変だったなと今でも
感じます。
要するに、中央シャッターにおんぶに抱っこみたいな状態ですよね。
ただ、そんな状況から脱却できた転機としては、1999年お台場にヴィーナスフォートが開業した際、施設内に当社の横引シャッターが採用されたときになります。
設計上どうしても従来型のシャッターでは対応できないようなところに、当社のシャッターが見事に適応したんです。
それをきっかけに横引シャッターが全国的に広まっていき、現在に至ります。
今では、横引シャッターの方が、中央シャッターよりも売上を逆転しているくらいに成長し続けています。
なので、展示会も7年半の間、毎年計算すると年に2.5回出していて、東京・関東の展示会から、一番遠くは関西の展示会まで、うちの宣伝を社長が行ってずっとやってました。
それでもやっぱり認知度が低いですし、鳴かず飛ばずで、もう本当に大変だったなと今でも
感じます。
要するに、中央シャッターにおんぶに抱っこみたいな状態ですよね。
ただ、そんな状況から脱却できた転機としては、1999年お台場にヴィーナスフォートが開業した際、施設内に当社の横引シャッターが採用されたときになります。
設計上どうしても従来型のシャッターでは対応できないようなところに、当社のシャッターが見事に適応したんです。
それをきっかけに横引シャッターが全国的に広まっていき、現在に至ります。
今では、横引シャッターの方が、中央シャッターよりも売上を逆転しているくらいに成長し続けています。
ホームページを拝見したところ、先代から事業承継もされたとのことですが、事業承継はスムーズに進めることはできましたか?
ぶっちゃけて言うと、先代の社長は叩き上げの経営者で「0→1」を作った人なので、本当に絵に描いたような中小企業の親父っていうタイプでした。
先代の社長は、自分はいつまでも生きているっていうふうに思って過ごしていたみたいなので事業承継なんてもちろん考えてすらいなかったはずですね。
ただ、私は大学卒業してこの会社に入社して、この会社は先代の社長が死んじゃったら簡単に潰れてしまうかもと思っていました。
先代が亡くなってから、それに合わせるかのように会社も潰れてしまったら、自分が潰れた会社の人になっちゃうなと。
そこで「そんなことは嫌だ、自分の人生でこの会社の舵をとって前進させていこう。」と気持ちが固まったような感じです。
そこから実際に事業承継を進めていくことになります。
ただ、事業承継っていう事業承継は、特にやってないくらいの感覚ではあるんです。
私が意識してやったのは、先代から仕事を奪っていくということでした。
当時100名ぐらいの社員がいたんですけど、基本的に先代の社長が先導して動くことが多かったんです。
なので、先代が全部指示して、先代が全部やるっていうことを、1個ずつ自分が代わりでやっていくみたいな感じのイメージで、社長から仕事を奪っていくんだと。
仕事を奪うには、社長が安心しないと難しいからこそ、必死に取り組みましたし、その結果として事業継承というバトンを渡してもらえるように行動していました。
「こいつにだったらバトンを渡してもいいやって思える行動をすればいいんだよね。」っていうのが、事業承継のきっかけになっていたんだろうなと思います。
あとは事業承継に関して必要な知識や情報を、外部に学びに行っていました。
事業承継関連の講座などは、100回は超えてないですけど、少なくとも50回以上は色々と参加して学んでいましたね。
ただその時からなんとなく感じていたのは、「事業承継の書籍に書いてあるやり方が全て、うちの会社には当てはまらない」ということです。
だから自分で学びに行って、いろんな話を聞くようにしていたんです。
それで意識していたことが、当社にとってメリットがある話だけ、全部自分の脳内に落とし込むということです。
あとは先代が目の黒いうちに9億あった借金を返済してしまおうと考えていたので、借金の返済担当というか、負の遺産係みたいな立ち位置で、とにかくどうやって計画的に返済していくかを毎日考えて行動していました。
ただ、先代の社長や100名の社員も含めて、この借金を返せるって本気で思ってたのは誰もいなかったはずです。
贅肉体質だった会社を、筋肉体質にしていくことが絶対に大切になると考えていたので、一つずつ一つずつ小さな金額であっても積み上げていくことを意識していました。それを総じて僕がよく言うのは、”貯金箱理論”っていう、ちっちゃいお金をいっぱい集めて、大きいお金に変えて大きいお金で動かすという理論です。それを実践することで、気づいたら6年で7億の借金を返すことに成功していました。そういうふうにやって原資を作ることは非常に大切なことですし、どの会社においても重要な考え方なのではないかなと思います。
先代の社長は、自分はいつまでも生きているっていうふうに思って過ごしていたみたいなので事業承継なんてもちろん考えてすらいなかったはずですね。
ただ、私は大学卒業してこの会社に入社して、この会社は先代の社長が死んじゃったら簡単に潰れてしまうかもと思っていました。
先代が亡くなってから、それに合わせるかのように会社も潰れてしまったら、自分が潰れた会社の人になっちゃうなと。
そこで「そんなことは嫌だ、自分の人生でこの会社の舵をとって前進させていこう。」と気持ちが固まったような感じです。
そこから実際に事業承継を進めていくことになります。
ただ、事業承継っていう事業承継は、特にやってないくらいの感覚ではあるんです。
私が意識してやったのは、先代から仕事を奪っていくということでした。
当時100名ぐらいの社員がいたんですけど、基本的に先代の社長が先導して動くことが多かったんです。
なので、先代が全部指示して、先代が全部やるっていうことを、1個ずつ自分が代わりでやっていくみたいな感じのイメージで、社長から仕事を奪っていくんだと。
仕事を奪うには、社長が安心しないと難しいからこそ、必死に取り組みましたし、その結果として事業継承というバトンを渡してもらえるように行動していました。
「こいつにだったらバトンを渡してもいいやって思える行動をすればいいんだよね。」っていうのが、事業承継のきっかけになっていたんだろうなと思います。
あとは事業承継に関して必要な知識や情報を、外部に学びに行っていました。
事業承継関連の講座などは、100回は超えてないですけど、少なくとも50回以上は色々と参加して学んでいましたね。
ただその時からなんとなく感じていたのは、「事業承継の書籍に書いてあるやり方が全て、うちの会社には当てはまらない」ということです。
だから自分で学びに行って、いろんな話を聞くようにしていたんです。
それで意識していたことが、当社にとってメリットがある話だけ、全部自分の脳内に落とし込むということです。
あとは先代が目の黒いうちに9億あった借金を返済してしまおうと考えていたので、借金の返済担当というか、負の遺産係みたいな立ち位置で、とにかくどうやって計画的に返済していくかを毎日考えて行動していました。
ただ、先代の社長や100名の社員も含めて、この借金を返せるって本気で思ってたのは誰もいなかったはずです。
贅肉体質だった会社を、筋肉体質にしていくことが絶対に大切になると考えていたので、一つずつ一つずつ小さな金額であっても積み上げていくことを意識していました。それを総じて僕がよく言うのは、”貯金箱理論”っていう、ちっちゃいお金をいっぱい集めて、大きいお金に変えて大きいお金で動かすという理論です。それを実践することで、気づいたら6年で7億の借金を返すことに成功していました。そういうふうにやって原資を作ることは非常に大切なことですし、どの会社においても重要な考え方なのではないかなと思います。
借金9億円、親族トラブル……入社時には様々な問題を抱えていた

先代社長は代表を務めたまま急逝してしまったのですが、そのときにはもう私が会社経営をやらしてもらっていていました。
虎の意を借る狐として、後ろに先代の社長っていう当時の社長がいながら、キツネが経営するみたいな感じではやらしてもらっていたので、経営の進め方などに関して特に大きい問題はなかったです。
当時は僕が入社したときは売り上げ2億しかないのに、借金が9億あって、それを必死になって頑張って6年で、7億借金返したくらいには必死に会社を立て直していくために頑張っていました。
ただ、うちは身内がいたので、身内もうちの会社で働いていましたが、一部の社員と一緒に、先代社長が亡くなったタイミングで横引シャッターを潰して、負債を無くした上で新しい会社を興して、そっちで仕事しようと計画していたことがわかりました。いわゆる計画倒産をしようというふうにやっていたんですね。
それを知った私は「駄目だ」とはっきり伝えました。親父が人生をかけて積み上げ作り上げてきた会社であって、俺は別にシャッター屋をやりたいわけじゃないんだと。「親父が作った会社だからこそ、残さなければいけない意味がある」と言い、そこからその身内と私が戦っていくことになりました。
詳細はなかなかお話しできないですが、本当にいろんなことがあって、1回会社から追い出されたりしたこともありましたが、最終的には僕が社長になって、横引シャッターという会社を復活させることになりました。
この時には様々な相続に関する問題などがあったりしたので、本当に、薄氷の上を渡るとか、綱渡りをするとかではなく、「薄氷でできた綱を毎日渡る」という感覚で、一歩間違えれば一瞬で潰れちゃうという状況の中で、4ヶ月・5ヶ月ぐらいは毎日動き回っていました。なので、一番しんどかったときはここかもしれないです。
当時を振り返ると、毎日今の専務と帰りに駐車場で「今日も会社潰れなかったね、よかったね」っていうのを言ってから帰るっていうことをしていました。なので、今こうして横引シャッターを経営できていることは本当に幸せなことなんだと思いますね。
虎の意を借る狐として、後ろに先代の社長っていう当時の社長がいながら、キツネが経営するみたいな感じではやらしてもらっていたので、経営の進め方などに関して特に大きい問題はなかったです。
当時は僕が入社したときは売り上げ2億しかないのに、借金が9億あって、それを必死になって頑張って6年で、7億借金返したくらいには必死に会社を立て直していくために頑張っていました。
ただ、うちは身内がいたので、身内もうちの会社で働いていましたが、一部の社員と一緒に、先代社長が亡くなったタイミングで横引シャッターを潰して、負債を無くした上で新しい会社を興して、そっちで仕事しようと計画していたことがわかりました。いわゆる計画倒産をしようというふうにやっていたんですね。
それを知った私は「駄目だ」とはっきり伝えました。親父が人生をかけて積み上げ作り上げてきた会社であって、俺は別にシャッター屋をやりたいわけじゃないんだと。「親父が作った会社だからこそ、残さなければいけない意味がある」と言い、そこからその身内と私が戦っていくことになりました。
詳細はなかなかお話しできないですが、本当にいろんなことがあって、1回会社から追い出されたりしたこともありましたが、最終的には僕が社長になって、横引シャッターという会社を復活させることになりました。
この時には様々な相続に関する問題などがあったりしたので、本当に、薄氷の上を渡るとか、綱渡りをするとかではなく、「薄氷でできた綱を毎日渡る」という感覚で、一歩間違えれば一瞬で潰れちゃうという状況の中で、4ヶ月・5ヶ月ぐらいは毎日動き回っていました。なので、一番しんどかったときはここかもしれないです。
当時を振り返ると、毎日今の専務と帰りに駐車場で「今日も会社潰れなかったね、よかったね」っていうのを言ってから帰るっていうことをしていました。なので、今こうして横引シャッターを経営できていることは本当に幸せなことなんだと思いますね。
先代の意思は受け継ぎつつ、時代にあった「枝」の落とし方

弊社にも、事業承継のことでご相談やお悩みの問い合わせいただいたりするのですが、「これ知ってたらもっと楽だったな」など、何か事業承継を進める際のポイントはありますか?
親族間の事業承継っていうのが前提になりますが、親族間の事業承継は、事業承継を受ける前に何が必要かって言ったら、間違いなく「先代とのコミュニケーション」ですね。
なんならもうこれだけと言ってもいいくらいには非常に重要なことだと思っています。
先代の思いとか考えや物の見方、聞こえ方っていうのも、やっぱり社長と社長じゃない人は同じようには見えないですし、同じようには聞こえてないですから。
それをどれだけ、先代が元気なうちに一緒に働いてるときに、どれだけそれに近づけるかっていうのが僕は重要だと思います。
なんならもうこれだけと言ってもいいくらいには非常に重要なことだと思っています。
先代の思いとか考えや物の見方、聞こえ方っていうのも、やっぱり社長と社長じゃない人は同じようには見えないですし、同じようには聞こえてないですから。
それをどれだけ、先代が元気なうちに一緒に働いてるときに、どれだけそれに近づけるかっていうのが僕は重要だと思います。
ありがとうございます。続いて、仕事をしていく上で大切にしてる考え方や心構えなどを教えていただきたいです。
「創業者の遺志を継ぐ」っていうのは、僕の中の大きな考え方や取り組み方の”幹”になってます。あとは「諦めない気持ち」ですね。自分の目標、決めた目標に対して、それを達成するためにはどうするか。
常に目標に対してどう行動するか、どう判断するかということは考えてます。
あとは細かいことですが、「社員は家族」っていうことはもう徹底しています。
社長が1人じゃできないから、もう一人、もう一人って人が増えていったのが社員たちであるので、社員たちは全員社長の代わりであると思うんです。社長の代わりの人を大切にしないで、会社が良くなるのっていう理屈ですね。要するに、社長の代わりに仕事をやってくれるし、だから社長はその人を良くしてあげる。良くしてあげることで、自分も良くなるみたいな感じですね。
常に目標に対してどう行動するか、どう判断するかということは考えてます。
あとは細かいことですが、「社員は家族」っていうことはもう徹底しています。
社長が1人じゃできないから、もう一人、もう一人って人が増えていったのが社員たちであるので、社員たちは全員社長の代わりであると思うんです。社長の代わりの人を大切にしないで、会社が良くなるのっていう理屈ですね。要するに、社長の代わりに仕事をやってくれるし、だから社長はその人を良くしてあげる。良くしてあげることで、自分も良くなるみたいな感じですね。
逆に先代が大切にされてきたこともあると思うんですけど、先代と違って、社長の代になって変えられたことってありますか?
たくさんありますが、一つ挙げるとすれば、変えない中で変えるということですね。
どういうことかというと、先代がなくなってからずっと言い続けている「創業者の意思は変えない。 変えるつもりはない」という私が大切にしている創業者の意思を変えずに継承して会社を前に進めていくという点は、木で例えると幹にあたります。
ただ、その創業者の意思の中には、現代にそぐわない考え方や、制度やルールが含まれています。そこはどんどん臨機応変に変えていくということをやっています。これはいわゆる枝なんですよね。古い枝を落として新しい枝を生やすというイメージです。
ただ、古い枝にぶら下がってる社員はいるので、新しい枝を先に生やして、古い枝にぶら下がってる社員を新しい枝に移動して、古い枝を落とすようにしています。
どういうことかというと、先代がなくなってからずっと言い続けている「創業者の意思は変えない。 変えるつもりはない」という私が大切にしている創業者の意思を変えずに継承して会社を前に進めていくという点は、木で例えると幹にあたります。
ただ、その創業者の意思の中には、現代にそぐわない考え方や、制度やルールが含まれています。そこはどんどん臨機応変に変えていくということをやっています。これはいわゆる枝なんですよね。古い枝を落として新しい枝を生やすというイメージです。
ただ、古い枝にぶら下がってる社員はいるので、新しい枝を先に生やして、古い枝にぶら下がってる社員を新しい枝に移動して、古い枝を落とすようにしています。
少し踏み込んだお話になりますが、今後の事業継承はご子息に承継されていかれるのですか。
今のところその予定です。
親族間の事業承継で一番のメリットっていうのは、親子っていう血の繋がりだと思っています。
仕事の話を親子として会話できるっていうのは、絶対的な武器ですからね。
血縁関係にない社員に事業承継をする際は、もちろん経営に関する知識などのノウハウは教えてくれると思います。
ただ、思考的な部分、メンタルのことは表面上だけで、根本の部分は教えることは難しいですし、教われないと思っています。 ここは社員では受け止められないと思いますし、社長もなかなか教えないと思います。
また、後継者の方が、「親父がバトンをいつまでも渡してくんないんだ。親父のやり方が間違ってんだ」ってよくある話ですよね。
私は講演のときに毎回「親父がバトンを渡してくれないっていうのは、バトン落とすかもしれないっていうやつなんかに、親が自分の人生をかけて作り上げた大きい大きい大切なバトンを渡すわけなんかないじゃないか。」と話をするのですが、バトンを相手が渡したいって、どれだけ思わせてるのかが大切なことだと考えています。
いいとこだけもらってね、自分の意見にそぐわないところは、親であっても社長であっても否定するなと思います。。
なので、親族間の事業承継は、渡す側よりも、受け取る側の問題が大きいなと思います。
あくまで私の考え方ではありますが、少しでも事業承継で悩んでいる方々の参考になれば幸いです。
親族間の事業承継で一番のメリットっていうのは、親子っていう血の繋がりだと思っています。
仕事の話を親子として会話できるっていうのは、絶対的な武器ですからね。
血縁関係にない社員に事業承継をする際は、もちろん経営に関する知識などのノウハウは教えてくれると思います。
ただ、思考的な部分、メンタルのことは表面上だけで、根本の部分は教えることは難しいですし、教われないと思っています。 ここは社員では受け止められないと思いますし、社長もなかなか教えないと思います。
また、後継者の方が、「親父がバトンをいつまでも渡してくんないんだ。親父のやり方が間違ってんだ」ってよくある話ですよね。
私は講演のときに毎回「親父がバトンを渡してくれないっていうのは、バトン落とすかもしれないっていうやつなんかに、親が自分の人生をかけて作り上げた大きい大きい大切なバトンを渡すわけなんかないじゃないか。」と話をするのですが、バトンを相手が渡したいって、どれだけ思わせてるのかが大切なことだと考えています。
いいとこだけもらってね、自分の意見にそぐわないところは、親であっても社長であっても否定するなと思います。。
なので、親族間の事業承継は、渡す側よりも、受け取る側の問題が大きいなと思います。
あくまで私の考え方ではありますが、少しでも事業承継で悩んでいる方々の参考になれば幸いです。
COMPANY INFO会社情報
- 企業名
- 株式会社横引シャッター
- 代表者
- 市川慎次郎
- 所在地
- 東京都足立区綾瀬6-31-5
- 設立
- 1986年4月3日
- ホームページ
- https://www.yokobiki-shutter.co.jp/