元プロ野球選手 吉村 裕基氏

野球を通じて学んだことを今後の人生にどう活かすか?元プロ野球選手吉村裕基が考えるセカンドキャリア


元プロ野球選手
吉村 裕基氏

クライマックス・シリーズ・ファイナルのMVPにも選出。元プロ野球選手「吉村裕基」

プロ野球選手としてのスタートはどのようなものでしたか?

2002年に東福岡高校からドラフト5巡目で横浜ベイスターズに指名されました。
高校時代はピッチャーもやっていたので、周りには「ピッチャーでプロに行くの?」と聞かれていましたが、スカウトの方からは外野かサードでの指名でした。


プロ入り後の苦労について教えてください。

プロ入り後、最初の3年は一軍に定着できず、なかなか結果を残せませんでした。
ただ、2006年に外野へのコンバートを提案されました。そこで思い切って挑戦したのが大きな転機だったと思っています。
翌年の2007年には打率3割をマークし、通算本塁打360本を放った、村田修一選手と中軸を組むまで成長することができました。


特に 2008年は最高の成績を残されましたよね。

はい、その年は、34本塁打と91打点を記録できたので、自分自身プロ野球選手としてやっていくことに対して、非常に大きな自信を得ることができました。
また、外野手としてリーグ最多の11補殺も達成したことで、打撃面だけでなく、守備面でも大きな自信がついた年でした。


その後、 2012年のオフシーズンにソフトバンクへ移籍しましたよね。

そうですね。トレードで福岡ソフトバンクホークスに移籍しました。
秋山幸二監督のもとで、新しい環境でプレーできたことは貴重な経験でしたが、なかなか思うようにはいかないシーズンが続きました。
そうして、2018年オフに戦力外通告を受けて、退団しました。
戦力外通告を受けたときは、正直引退を覚悟しましたが、どうしても野球を続けたいという想いが強くあったので、12球団合同トライアウトやオランダのリーグにも参加しました。
その結果、当時新規設立された独立リーグの琉球ブルーオーシャンズから誘いをいただき、入団することとなり、現役としての野球人生はまだ続くこととなりました。



オランダリーグや沖縄での挑戦はいかがでしたか。

オランダの独立リーグではではケータリングもない環境で生活し、これまでの恵まれた環境との違いを痛感しましたね。ただ、そんな過酷な環境下でも必死に一生懸命にプレーする選手たちに混ざって野球をできたことは、なんだか原点に立ち返ったような感じがして、より一層野球を続けたいと思うようになりました。
琉球では若手と一緒にプレーする機会を得て、選手としてまだまだ成長していけるという想いを持ちながらプレーすることで、沖縄に新しい風を吹き込みたいという気持ちで奮闘していました。

現在は野球教室や解説、母校のコーチも務める

現在は野球教室や解説、母校のコーチも務める
ここからは引退後のことについてお聞きしていきます。現在の仕事は主にどのような内容でしょうか?やはり解説業がメインでしょうか?

いえ、メインは解説よりも野球教室などがメインになりますね。
特に子ども向けの教室が多く、依頼は自治体からのものや、知り合いの方々を通じてくることが多いです。


野球教室は子どもたち向け以外に、中学生以上に向けても対応されているのですか?

そうですね、主に子どもたち向けですが、主催者の希望によっては中学生以上に向けた野球教室も開催しています。
問い合わせいただいた要望に対して、教室の規模や指導内容も柔軟に調整可能なので、必要に応じた問い合わせをいただけたら、できる限り要望に合わせて開催できる点は強みではあります。
小学生は参加人数が多いことが珍しくないので、個別に時間をかけて指導をしていくというのが大変な部分ではありますが、中学生以上になるとある程度自立して動けるので、人数が多くても比較的対応しやすい点はあります。
ただ、だからと言って手を抜くことはもちろんないですし、与えられた時間の中で精一杯指導して、野球の楽しさを知ってもらえるようにいつも全力で指導しています。


野球教室の依頼はどこから来ることが多いですか?企業や自治体が主ですか?

そうですね、野球チーム単体での依頼というケースは稀で、自治体や企業からの依頼が主になります。
例えば、直近で開催した鹿児島での野球教室も、地元の企業に勤めている知り合いから「一緒にやりましょう」と誘われたことがきっかけで、実現まで至りました。
スポンサーを見つけてくれるケースも多いので、そういう場合に関しては参加者は基本的に無料で参加できるようにするなど、参加のハードルを下げてたくさんの人に来てもらいやすい環境を意識して整えています。


海外でも野球教室などは開催することはあるのですか?

はい、昨年ベトナムで野球教室を開催しました。
その際、現地のビジネスパートナーと話しているときに、正直私は「置いてけぼり」になっているなと感じたんです。
彼らのビジネスの進め方や考え方が、日本の野球界とは違っていて、野球以外のことも勉強しないと次のステップに進めないなと強く感じ、このままではダメだと痛感しましたね。


野球教室以外のお仕事として、解説の仕事の頻度はどのくらいでしょうか?

解説の仕事は、そこまで多くはありません。
解説は基本的に年間契約が基本なのですが、私はスポットでの依頼が入ることが多いですね。
スポットでの依頼が入る時は、年間契約の人が急にお休みする場合など、主にピンチヒッター的な役割が多いかなと思っています。
もちろん解説の仕事も楽しみながら、野球中継をご覧の方々にわかりやすく解説できるように頑張っています。


現在は母校でもコーチをされているとのことですが、他からもコーチの話はあったりはしましたか?

確かにそういった依頼はプロアマ問わずありがたいことに、多くいただいています。
依頼自体は横のつながりからくることが多いです。

子どもたちに伝えていること「野球を通じて学んだことを今後の人生に活かせるように」

子どもたち向けの野球教室で感じることは何でしょうか?

そうですね。これは子どもたちから感じたことではないですが、東京など首都圏では週末にレッスンを受けるためにお金を払うのが普通だと考えている方々がかなり多いです。
私にとって野球は当然のことですが、他の方にとっては貴重なスキルであり、費用を払ってでも学びたいものなんだと気付いた時、自分の経験が他人の人生にも役立つんだなと感じました。


引退後も多くの方と交流されていますが、その中でどんな方と関わりがありますか?

現役時代から、野球選手以外の人とつながることが多かったですね。
こういった方々と接することで、自分も別の業界で成功したいという気持ちが強まりました。
野球選手であることに依存せず、ビジネスでも一流と対等に付き合えるスキルを身に着けたいですね。


高校生にはどのようなことを伝えていますか?

全員がプロ野球選手になれるわけではありません。
だからこそ、「野球を通じて得た経験や教訓を、今後の人生にどう活かすか」を常に考えてほしいと伝えています。
私自身も、プロを引退した今、野球で培った忍耐力やチームワークを生かして新しい挑戦を続けています。


野球以外で成功している方について、どのようなイメージを持っていますか?

例えば僕の後輩は、野球でトップを走ったわけではありませんが、ビジネスでいろいろな顧問を務めたりして、成功を収めています。
野球選手という枠にとらわれず、異業種でも成功できる人を見ると励まされますね。
私も社会で一流の方々と対等に接し、貢献できる存在になりたいです。

後悔しないためには自分の意思で行動し流されないことが重要

後悔しないためには自分の意思で行動し流されないことが重要
現役を終えた選手にとって、次のキャリアで何が大切だと考えますか?

一軍に上がれなかった選手も、残ったエネルギーを次に活かせると思います。
野球の経験で得た体力や忍耐力を、新しいフィールドでどう活かすかが重要ですね。
私自身、キャリアを振り返ってみて「悔いがないように」と思っていますが、それは自分の意思で行動してきたからです。


特に若い選手たちに伝えたいことはありますか?

自分の意思で行動し、先輩や環境に流されないことが大切だと伝えたいですね。
高卒でプロに入る選手は若さゆえに先輩に影響されやすいですが、自分をしっかり持つことが大切です。
流されてしまうと、後悔することが多くなりますが、たとえ失敗しても自分で決めた結果なら次に進めます。


ドラフトやプロ入りについても、その姿勢は重要だと思いますか?

はい、ドラフトの順位やタイミングは運もありますが、自分で納得のいく選択をしてほしいです。
私は5巡目でプロ入りしましたが、決して上位指名ではないことに不安もありました。
それでも、自分の意思でプロに挑む決意をしたからこそ後悔がありません。
若いうちに一軍で経験を積むことで、「これが自分の進む道だ」と感じられる瞬間があると思うので、自分の気持ちを強く持って行動していってほしいと思いますし、私自身もその生き方を引き続き貫いて、今後の人生をいろんな意味で豊かにしていけたらと思います。