つけめんTETSU|創業者 小宮 一哲氏

つけめんTETSU創業者が語るラーメン屋成功への軌跡 & M&Aした理由とそのプロセス

つけめんTETSU
創業者
小宮 一哲氏

店舗経営を学ぶため就職先に選んだ会社は「ユニクロ」

小宮一哲氏は、ずっと「将来はラーメン店をやりたい」という夢を抱いていたといいます。
ただ、当時の彼が選んだ就職先は、当時「商売人を育てる会社」として知られていたファーストリテイリングでした。面接時から「ラーメン店を開きたい」と夢を語り、「1年目は会社に食わしてもらいます。2年目から僕が会社を食わせます」と宣言していたが、2年で退職し、独立への道を歩み始めることとなったといいます。

また、ラーメン店開業の準備中、当時の彼女(現在の奥さま)の妊娠が判明したことで、「今はラーメン屋をやっている場合ではない」と思い、夢をあきらめてセコムに再就職する道を選択したことで、「ラーメン店をやりたい」という夢は遠のいていったのです。

ただ、彼女とラーメン店を訪れるたびに「俺だったらこうするのに」と話す様子を見て、彼女の方から「ラーメン店やってみたら?」と背中を押されたそうです。
「失敗するなら30歳までに失敗しろ」と言われ、28歳の時に「つけめんTETSU」を創業したのです。

閑古鳥すら鳴かない日が続き「いよいよ店が潰れる…なら最後は自分がおいしいと思うものを出そう」と決意

飲食業界未経験で開業した1号店は、ほとんどお客さんが来ず「うちは閑古鳥も鳴かない」と感じるほどの閑散とした日々が続いていたといいます。
当時はインターネットが普及し始めたころだったこともあり、口コミの影響力が増していく中で、安定した味を出し続けることに悩み、ネガティブな口コミに心が揺れる場面もあったそう。
小宮氏は当時を振り返り、「自分でも、この味ではおいしくないと感じてしまうほど、自信を失っていました。」といいます。
そんな中、「いよいよ店が潰れるかもしれない」と思い、覚悟を決めた小宮氏は、「最後は自分が本当においしいと思うラーメンを出して終わろう」と決意し、口コミにとらわれず、とにかく自分の信じる味を追及し始めました。
すると、意外にもお客さんが少しずつ戻り始め、店は徐々に賑わいを取り戻したのです。
しかし、調理経験が浅かったため失敗がたびたびあったそうで、「美味しくないかもしれないけど、せっかく来てくれたお客さんにお腹だけは満たしてもらおうと考え、失敗した日も店を閉めずに「今日のスープは失敗しちゃったんで、タダで召し上がってください」とお客さんに無料でラーメンを提供していたこともあったと、小宮氏は回想して語っています。
その結果、「これで失敗なら、成功した日はどれほど美味しいのだろう」といった口コミが広がり、美味しい日のラーメンを食べてみたいお客さんが殺到したのだそう。
この経験を通じて、小宮氏は「他人の評価に左右されず、自分の信じる道を貫くこと」の大切さを学び、店舗経営に自信を持つきっかけとなったのです。

調理経験の浅さが功を奏し、続々と店舗を展開。 2店舗目ですでに売却を視野に

お客さんが連日、大勢来るようになり2店舗目も視野に入れ始めた小宮氏は、調理経験が浅かったことが功を奏し、スープのレシピをマニュアル化して誰が作っても同じ味になるよう品質を安定させ、冷凍技術を取り入れてコストを削減するなど、複数店舗を展開する体制を構築していきました。さらに、ユニクロで培った店舗運営のノウハウを活かし、店舗の拡大をスムーズに進められたのです。
ただ、飲食業界の経験が浅かったため、一日中安定した味を保つ技術の重要性に気づき、さらなる学びが必要だと感じたことで、何度も試行錯誤を重ね、技術向上のために研鑽を積み重ねていったといいます。
また、ラーメン業界のトレンドの変化を実感し、40歳という節目で新たな挑戦の準備を進めていたのです。

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